同期会・同窓会ひろば
こんなときもあった
昭和27年卒の山本です。
なぜ気が付かなったんだろう?
ミカン箱で一杯の「海城新聞」創立からの資料の中にあった。
あれから10年以上たつのに。
角封筒に、「第3回海城学園芸能祭」プログラム原稿とある。二つ折りで表紙は利根山光人先生のデザインで印刷屋に渡すコピーだ。作ったのは、同期のこ岸本和夫君だ。彼は海城新聞の最後の編集長だ。
中身のプログラムを開くと、これはすごい!当時としては超一流の芸能人バッカリ。出演者を拾ってみると驚いた。
清水 岬校長・PTA会長の挨拶から始まって、海城コーラス部の合唱だ。
アトラクションに入り、
◆変装術 波多野栄一の「私は誰でしょう?」
今で云えばあの物まねのコロッケかなあ。
◆きらめくリズム 与田輝雄とシックスレモンズ
軽快なジャズ演奏にフランキー堺、小川洋子、他数名
◆牧野周一の漫談
爆笑の原爆 牧野調の名調子
◆落語の古今亭志ん生
名人が熱演する「火炎太鼓」で大爆笑
◆最後は東京管弦楽団
豪華80人のオーケストラ。クラシックと懐かしのメロディ。
総合司会は牧野周一のユーモアで終了
そうだろうなあ、
一部には批判の声があったが「笑いは健康」で決着がついたという(笑)
廃墟と欠乏の中、初体験の民主主義を目指して学園丸ごと一丸となって、やったことは、今風に言えば「ワンチーム」の成果だね。
この頃昭和28年前後は街頭テレビ(白黒)で大騒ぎ、まだラジオから流れる娯楽だけだ。まだ焼け跡の傷は深く、伊勢丹が見え富士山もよく見えた。
まだ「会報海原」がない時の話です。
国語科・中村久憲先生慰労会の開催
長らく海城学園で教鞭をとられ、今年の3月末で退職されます国語科の中村久憲先生(昭和48年卒)を慰労する会を下記のとおり開催いたします。
○日時:2020年(令和2年)3月14日(土)午後3時開始(所要2時間程度)
○場所:海城学園カフェテリア
○費用:4,000円(当日現金支払い)
なお、本会の主催は平成5年卒及び平成11年卒ですが、中村先生にゆかりのある方であれば、平成5年卒又は平成11年卒でなくても参加を歓迎いたします。
本会への参加をご希望の方は、海原会ホームページ「海原会へのお問い合わせ・ご連絡」からお申し込みください。
※平成5年卒及び平成11年卒の方に関しましては、幹事を通して本会の開催が連絡されていると承知しますので、幹事の方にご返信ください。なお、連絡が届いていない場合は、海原会ホームページ「海原会へのお問い合わせ・ご連絡」からお申し込みください。
1人でも多くの方のご参加をお待ちしております。
2020年の高橋義治展
先日、我が母校海城高校の同期の故「高橋義治」君の奥様の高橋千晴さんから銀座の「アートホール」で3月2日(月)~8日(日)迄開催の「高橋義治展」の案内が届きました。
海原会関係の皆様、時間がある方は是非足をお運び下さい。
36会役員会開催
今日は、今年最初の「海城 36会役員会ですので午後4時過ぎに家を出て四谷の「長崎県産業支援センター」に寒風吹き荒ぶ中向かいました!!
会議は、来月20日の「喜寿の祝いの会」の話で盛り上がり役員13名が集まりました!!
赤石事務長の司会で話が始まり、山田会長の挨拶、式次第で海城の校歌、物故者に対する黙祷、乾杯の音頭は1番遠くから来た人等に頼む、司会は毎回総会の司会者の金子君が欠席裁判で決まったりして、今回は大々的に人を集めるように話合い、最後に記念写真を撮り8時には散会した!!
参加者(敬称略、赤石、伊藤、上原、大森、郷古、小谷野、重武、杉山、滝本、田中、林、平井、山田)
神宮の杜がモノ言わず語りかける物語
令和2年も平穏のうちに明けた1月17日午後、海城36会の有志18人が、昨年に続き東京・原宿近くの明治神宮に参拝、喜寿の祈願を行いました。大正9(1920)年、明治天皇・昭憲皇太后を祭神に創建された明治神宮は今年、鎮座100年を迎え、様々な記念行事が行われているところ。その一つ、南参道は神橋のたもとに建設された明治神宮ミュージアム。隈研吾氏の設計による和を基調とする建物には、ご祭神ゆかりの品々が展示され、明治神宮の新たな名所になっているそうです。
新春の参拝も2度目とあり一同も慣れたものでしたが、「100年の杜が発散するマイナスイオンのせいか、新鮮な気分になるね」と杉山紘千佳君。全国から献木された約10万本の樹木は鬱蒼と生い茂り、太く絡み合った根っこが地を這う様は、広大な森の造成に汗を流した11万人ともされる全国の青年団の奉仕活動の証のようで、「神宮の杜がモノ言わずに語りかける物語を偲ばせる」とカメラに収めたそうです。
今回が初参加の田中永二君は「濃い緑に包まれた本殿・神楽殿、高く伸び密生する木々はまさに日本が誇る<木の文化>だよ」と感心しきり。神楽殿での巫女による古式豊か大和舞の奉納には「往時の華やかさ、厳粛さもかくありなんと思わせてよかった。だけど、あの舞は昔通りなんだろうね」と一言。その通り、昔もこんな具合に舞っていたそうです。
喜寿を迎え無病息災を祈願した後、まだ冬の日も高い時刻、祈願の趣旨とは少々離れるかもしれませんが、新年会と称して四谷界隈に繰り出した者がいたのも例年通り。ただ今年は日本が直面する政治状況、経済の見通し、国際環境などまじめな話題に話が弾みました。中で盛り上がったのが、70代の後半になれば財産相続の手配をきちんとすることが肝要、と言う話。そういえば36会の会計監査役を長く務め、昨年亡くなった佐藤洋介君が「相続問題は金額の多寡によらず、身内でも醜い争いになる。何かあれば相談にのるよ」と言っていた。<持たざる者>の気楽さで「その折りはよろしく頼む」と答えましたが、要は70代の後半ともなれば身の回りの始末には目配り・気配りが大切ということです。
こんな話を2時間ほどした後、一気にメートルが上がり、騒々しく初春の夜が更けたのもいつもの通りでした。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。
















