同期会・同窓会ひろば
富田勝彦展 ―江戸琳派の逆襲
9月に東京の成城学園で個展を開催した富田勝彦さん(昭51卒)が京都で個展を開催します。皆様京都へお立ち寄りの際は是非ご覧ください。
「富田勝彦展 ―江戸琳派の逆襲」
12/21(土)~1/19(日)12:00-20:00
月休(12/23,30,1/13除く)年末年始休(12/31-1/29)
「Art Space寄す処」
京都市下京区東中筋通五条下ル天使突抜3丁目454
075(746)4877
*12/20(金)18:30-19:00はギャラリートークを実施予定
画像:個展のリーフレット
海原三五会同期会開催
2013年11月6日(水)、海原会三五会同期会を池袋サンシャイン59階の「天空の庭・星のなる木」で行なった。出席者32名。回を重ねるごとに顔と名前が一致するようになり懇親度も急伸、予定時間を遙かにオーバーする盛会となった。海原会総会が毎年6月第一土曜日と決まっているように、我々も11月の第一水曜日を同期会の日としよう、ということになり、今後の集まりが大いに楽しみである。
海原会員の従兄弟同士で五星山展へ
福島県二本松市の大山忠作美術館で10月12日から五星山展が開催されている。
五星山展は東山魁夷・髙山辰雄・平山郁夫・加山又造・大山忠作という「山」が名前に付く5人の文化勲章受章者の作品が一堂に会する希有な作品展である。先の東北の大震災、それに続く原発事故で未だ傷の癒えぬ福島の方々に、これらの作品を見ていただくことができたいという思いから企画された。
実は海城OBには大山忠作の親戚が4人もいる。
鑑賞・応援・旧交を温める…、目的は様々だが、「是非みんなで二本松に行こう!」ということになった。10月27日(日)朝早く、海原会員3人を含む、通称MOSS(三浦、大山、杉山、杉本)従兄弟の一行22名は貸切のサロンバスで東京駅を出発!途中、事故渋滞で30分ロスしたが、午後1時20分に無事二本松の大山忠作美術館に到着した。
今回、五星山展の実行委員長となったのは大山忠作画伯の長女である大山采子女史。女優の一色采子といった方が通りがよいかもしれない。
その大山女史のトークショーが午後2時からということで、まずは3階の五星山展の作品35点を鑑賞したが…、すごい。圧倒的にすごい。見れば分かると言ってしまえば身もふたもないが、道を極めた者の作品はそれ自身がオーラをまとっていて、見るものに力を与えてくれる。
大山采子実行委員長のトークショーでは、今回の5人の遺族達に福島の復興支援の為の展覧会という事で出品して下さいとお願いした時の苦労話、父・大山忠作画伯の性格の話等が語られ大好評だった。五星山展の題字は片岡鶴太郎さんが染筆したものであるが、片岡さんは「巨匠の作品が集まる展覧会の題字を書かせて貰える事は光栄で震えるような気持ちだった」とコメントを寄せていた。
トークショーの後、再び五星山展を鑑賞し、大山采子女史からは熱っぽい説明を受けた。作品を見るだけで力が湧いてくるので、この作品展が復興支援であるということに非常に納得がいった。
その後、二本松の大山一族と合流。美術館を後にし、岳温泉・ホテル光雲閣へ。夜の宴会は総勢33名で4年振りの従兄弟会ということで、歌や踊りが飛び出し大盛り上がりな賑わいで夜遅くまでどんちゃん騒ぎ。夜中には東北恒例の地震の洗礼を受け朝を迎えた。
翌日は「飯盛山」で白虎隊の墓参をし、秋晴れ快晴の鶴ヶ城を愛で、磐梯山SAで喜多方ラーメンなどを食し、一路東京の丸の内口へ無事到着。
五星山展は11月17(日)まで開催。海原会の皆様の来場をお待ちして居ります。
画像上:五星山展の資料
画像中:MOSSの面々
画像下:作品と大山女史 ※本来、作品は撮影禁止です
平成20年卒海城同窓会
海城を卒業してそろそろ6年が経つ。社会人になって働いている者もあれば、学生として研究を進める者もある。「卒業以来初めて来た」という者もいて、カフェテリアで思い出話に花を咲かせた。
開催告知が事前連絡になってしまったので、集まったのは20人弱。アメリカから帰国したメンバーがいたり、「はじめまして」の挨拶を交わす声が聞こえたり。今までは騒がしかった同窓会も、今回の企画では和やかなムードに包まれた。
次回開催予定日程は1/4。「毎年新年の第一土曜日に新年会をやろう」という提案があったので、近いうちに同期の皆に連絡します。その際は返事はお早めに。
(津村大樹 記)
海原二五会(昭和25年卒同期会)
明年は入学70周年
恒例の昭和25年高卒同期会を10月22日、南青山の「うすけぼー」で開催。参加者24名。
今年から昼間の開催に切りかえた。午後1時、尾上武朗君の司会で開催。先に旅立った多くの仲間の冥福を祈り、冥福を捧げたあと、秋山哲児君の乾杯の音頭で宴に入る。
第2次大戦も末期の昭和19年(1944年)、旧制、海城中学入学のわれわれは、明年には節目の70年目を迎える。その間、未曾有の大変な激動の時代を乗り切ってきた。仲間のほとんどが筆舌につくしがたい人生経験を味わった。でも、まだ多くの「戦友」たちが八十路を懸命に歩みつつある。だがその前途は、険しさを増す。
この日、名古屋から野球部主将だった飯田耕作君、仙台から高橋博君もかけつけ足元不如意の白井亭二君は奥さん同伴で出席した。
宴たけなわ、1人づつショート・スピーチ。自分自身や家族の近況。健康問題などが主だったが、それぞれ多少の問題を抱えているものの、平均年齢をクリアーしたこともあって、ある意味では達成感さえ漂っていた。ともあれ、談笑の輪があちこちに広がり、今年も、まことに楽しき3時間ではあった。「7年後の東京オリンピックを見ようや」というのが合言葉となったが、さしあたり皆んな達者で、来年も出来るだけ多くの仲間と会いたいものだ。
そして最後に松平新太郎君の音頭で海城校歌を斉唱。全員、歌詞を片手に大声を張りあげた。
(梅沢喬二 記)
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。







